明治維新により和食も西洋文化を取り込む

明治以降、西洋料理の移入が、近代日本の食生活に大きなインパクトを与えたことは事実ですが、やはり日本料理そのものは底流として重要な位置を占めていました。明治維新や文明開化によって、それまでの食生活が一変したわけではなく、西洋料理に眼を奪われたとしても、それは表面的なもので、一般には日本料理が日常の基本をなしていました。
もちろん日本社会の近代化に伴い、肉食や西洋野菜の普及という現象もみられました。西洋野菜についてみれば、トウモロコシ・インゲン・ホウレンソウ・キャベツ・ジャガイモ・タマネギ、さらにはレタス・アスパラ・パセリなどが明治期になって外国から移入され販売されるようになりました。
近代における日本食の展開は、西洋料理の大きな影響のもとに進展したことになります。とくに大正期になると、財閥が生まれて関連会社や銀行などの企業が急成長し、そこに勤めるサラリーマンが社会的に登場しました。そして彼らを中心とした市民階級などの間に、西洋料理が普及し、カレーやコロッケ・トンカツなどの三大洋食が流行するようになりました。これらの料理は、かつての和洋折衷料理を洗練させたものでした。
いずれも海外ではお目にかかることのない料理で、米を重視したライスカレーのほか、肉の代わりにジャガイモと挽肉で整形したり、テンプラの手法にパン粉と豚肉を応用したりするなど、まさに西洋料理の換骨奪胎でした。さらには和風出汁を用いたカレーうどんやカレーそば、あるいはカツ丼など、明治末期から大正期にかけて、さまざまな試みがなされて新しい日本食の創造が行われました。こうした意味においては、日本食をベースとした食生活の西洋化が、1920年代に著しく進展したと見なすことができます。

和食の体系化

日本が世界の強国の仲間入りを果たし、いくつかの植民地を抱えて裕福になると、料理自体が社会的な観点から本格的に論じられるようになりました。
第二次大戦中には、軍事優先のもとで耐乏生活が強いられ、食料の供給にも厳しいものがありましたが、昭和20[1945] 年の敗戦によって、食料事情の悪化にいっそうの拍車がかかりました。空襲による生活・生産環境の破壊、軍人・民間人の海外からの引き揚げによって失業者が大量増加するとともに、凶作による食料不足、インフレの急激な進行で、食料事情は深刻を極めました。また食糧緊急措置令などによる配給も行われましたが、これでは栄養水準の維持も怪しく、東京・大阪などの大都市では、栄養不足による餓死者が多くなりました。
こうしたなかでアメリカによる経済援助の多くを小麦などの食料供給に充てましたが、その克服には難しいものがありました。ちなみに海外からの小麦の輸入は、その後のパン食の普及に大きな役割を果たしました。そうしたなかで経済安定政策が採られ、朝鮮戦争の特需もあって、昭和26[1951]年になると、日本経済は戦前レベルまでに回復し、食料不足も次第に解消へと向かうと同時に、サンフランシスコ条約締結により国際復帰が実現しました。

高度経済成長と食を取り巻く環境の変化

そして昭和30年代の驚異的な高度経済成長により、経済規模は実質約5倍に膨らみ、確かに生活は豊かになりました。そして戦前に較べれば、貧富の格差が縮まり、社会的規模で貧困からの脱出に成功しましたが、産業構造は農業から工業へと移って、都市への集中が増大するとともに、新たに公害問題や食品汚染などの問題も生じました。
そうしたなかで、食料を取り巻く環境も大きな変貌を遂げました。スーパーマーケットの登場とともに、電気冷蔵庫の普及が進み、低温輸送のコールドチェーン化が進み、新鮮な野菜や魚・肉のほか、ハム・ソーセージやミルク・バター・チーズ、さらには清涼飲料水やビールなどを、何時でも自由に口にすることが可能となりました。
また、都市ガスやプロパンガスの普及によって、いつでも火が自由に使えるようになったため、焼き物が手軽になっただけでなく、揚げ物や炒め物など西洋風・中華風の料理が簡単にできるようになりました。ちなみに電気炊飯器を初めとする電化製品の増加を背景に、主婦の労働時間が軽減され、女性の社会進出を促しました。
さらに食生活の洋風化は、昭和35[1960]年頃から急速に進み、とくに米の消費量が減少して、米余り現象が生じました。戦前まで一人あたりの米消費量は、160kgとされていましたが、昭和61[1986]年には半分以下の71kgにまで落ち込みました。また肉や乳製品の需要が高まって、子供の人気メニューも、玉子焼きからハンバーグへと変化し、同63年には供給量ベースで、肉および乳製品の総量が魚介類を追い抜くという状況に至りました。米と魚という日本食のイメージは、大きく変化したことになります。
とくに、この時期にはバブル景気に湧いて、食生活と料理そのものに著しい多様化の波が訪れました。ファミリーレストランやファーストフードのチェーン店が各地に出現し、牛丼店・天丼店などの専門系列店も含めて、食を楽しむ外食空間が一気に拡大しました。ただ、こうした飲食チェーン店の拡大は、料理の画一化をもたらし、油脂類の多用に及ぶ傾向があることも忘れてはならなりません。

中食の台頭・孤食化

しかし、経済性・利便性から外食化には歯止めがかからず、さらには外食感覚の延長線上に、中食という新しい食のスタイルが登場しました。この前提には、ホカホカ弁当など持ち帰り弁当屋の展開がありましたが、これに加えてコンビニエンスストアの展開が、中食普及の大きな要素となりまた。すなわち惣菜なども含めて調理済みの食品を手軽に供給できるシステムが、深夜営業も含めて全国各地に整備されたためです。
もともと大都市の下町には、総菜屋が数多くあって、商店など家族一体で働く家庭の食生活を支えていましたが、現代の中食は、そのほとんどが工場生産によって成り立っているという点が異なります。ただ最近では従来の飲食店でも、店内の客に限定せずに、積極的に弁当の販売も行っており、外食という範疇に収まらない中食は、孤食という食事形態の変化のなかで、今日では極めて高い需要を得ていることに注目すべきです。
またインスタント食品の需要も、現代の食生活には大きな位置を占めるようになりました。とくに日本で開発されたインスタントラーメン・カップヌードルやカニカマなどは、海外でも人気が高く、広い意味では日本食の海外進出の一環を担っています。すでに醤油はソイソースとして海外でも調味に用いられているほか、化学調味料も東南アジアの魚醤・穀醤の味覚圏では広く利用されています。これに加えて、最近では日本食そのものの海外進出が著しく、健康志向とも相まって、日本料理が幅広く受け容れられるに至りました。